言い訳している間は、人生何にも変わらないし、自己成長も無ければ、自分の人生を彩るなんて到底無理ゲーである。
タロってデザれる習慣化トレーナー
(タロット鑑定士/数秘&九星気学鑑定士/潜在意識コーチ/心身健康習慣化トレーナー/WEBデザイナー)
まいどヽ( ・∀・)ノ
⇒シバタトモコってこんな奴だよーん♡
必死になってる時って、ついつい自分の感覚的なものを軽視しがち。
そういう時に何か違和感感じるような事があっても、「その時は必死で気づかなかった」ってのはよくある。
だがしかし。
本来、何かを感じるのを忘れるほど必死ってのは「瞬間」「一時的」な時のお話であってさ。
上記のような瞬間的なものではなく、一連の過程において後々になって「その時は必死で気づかなかった」ってのはちょっと怪しい。
自分の経験上でも、今まで関わってきたクライアントさんたちの経緯を見ても、第三者から何かしら己の現状を冷静かつ客観的に図星突かれた時、
一連の過程に対して「その時は必死で気づかなかった」というのを度々口にする時ってのは、
「気づかなかった」のでは無く
「気づこうとしなかった」のが殆どなのだ。
(気づこうとしないのは何故か?は後述しとります)
気づこうとしない者に気づきは来ない。
気づきが来ないというコトは成長もしないし、同じような場面で同じようなコトを繰り返す。
同じようなコトを繰り返すのがダメなのでは無いが、その経験がとてもしんどいのに繰り返してしまうのは「渦中で気づこうとしなかった自分の責任」。
しんどい人生であることを諦めるしか道はないだろうね。
そもそもよ。
気づかなかったとか言う場合、冷静になってみたら、一連の渦中で、違和感や行き詰まり感を感じる場面は沢山あったはずだ。
自分自身と向き合う、という行為は、連の渦中のさなかに沸き起こる「違和感/行き詰まり感」を感じた「その時」に行わないと意味がない。
その渦中で感じる違和感や行き詰まり感を感じるたびに「自分の本心はどうなのか?」とか「本来何を求めてたんだっけ?」とか、
そういう振り返りをこまめに行い選択行動の見直しを図るからこそ、のちのち経験値として培われていくのだ。
経験値として自分のものになることで、今後も似たような場面に出くわしたとしても落ち着いて行動選択できる機会も増えるわけよ。
けども、毎回似たような場面で過去と同じような事態に陥る人の殆どは、渦中の違和感を無視し続け、にっちもさっちも行かなくなったりそうなる寸前で「あのときは必死で…」と言い訳するコトに終始しているだけである。
言い訳している間は、ほんと、人の心って変わらないんよね。
自分もそういう時期は長くあったけど、そういう時は、漏れなく、同じような場面では、結果として過去と変わらない、という経験しかしてねーわ(笑)
違和感や行き詰まり感というものは、どんなコトでも多少はあるものだ。
大なり小なり、人と関わり合いながら社会と関わり合いながら生きてるわけで。
なんでもすいすい行くとおもったらそれは大間違い。
※これをすいすい都合良く行かそうとする奴をスピボケと言います(笑)
違和感や行き詰まり感というのは、その渦中はイヤなもんだけどさ、
見方を変えたら、違和感や行き詰まり感は「自分の本心/本来の目的からズレてきてまっせ」というサインでもある。
だからこそ、違和感・行き詰まり感を感じた時は「できるだけ早い段階で」こまめに「自分の本心/目的の本質」のチェックを怠ってはならんのだ。
自分でチェックできないなら、せめて、違和感や行き詰まり感を感じた「その時」に、そういう経験を経ている人が周りにいるならさっさと相談したらいい話で。
ま、相談できないから、渦中グダグダのまま突っ走れるんでしょうけど。
相談できないのは、渦中で図星突かれるのが怖いからだけなんだけどね(笑)
ちな、冒頭に書いた「気づこうとしなかった」ってのは、「図星を自覚するのがイヤ」や「別の選択肢を選ぶのが怖い」から由来すんのよ。
図星ってのは、ある種、今まで避けに避けてきた選択肢が見えてくるってコトでもあるし、図星で自分のズレを自覚すれば、違う選択肢が見えてくるもの。
違う選択肢が見えたら可能性も見えるからやりたくなる。
けど、そんな選択肢実行したら周りにどう思われるか怖い、とかいうしょーもない他人軸がまたにょろっと顔出すんだけどね(笑)
そこでたじろいでたら人生なんて変わらんし、自分の成長なんて無いわね。
もっというと、相談できない・図星を我がごととして捉えきれないというクソのようなプライドの高さが、そもそも余計に自分の人生こじらせてるんだって事なんだけどね。
(過去の自分を今、遠い目で見ておるwホーホホ
ちな、違和感/行き詰まり感の正体って何かというと、「他人軸」でありんす。
自分の選択の軸を他人の反応にしている時に必ず違和感/行き詰まり感は起こる。
怒られそう、迷惑かけそう、バカにされそう、否定されそう、から始まり、
褒められたい、役立ちたい、感謝されたい、尊敬されたい、肯定してほしい、認めてほしい、などなど。
こういったものの根底は全て「他人軸」である。
他人軸とは、言い方を変えたら「自分の素のままではダメだ」と自己否定してないと採用できない軸だ。
人生は自分の軸があってこそ、他人と真の共存が図れるもの。
自分の人生の選択に他人の反応を軸にすることは、自分の人生を他人に預けているのと同じである。
自分の人生は自分のもの。
そう心から思えて初めて、他人の人生も尊重できるようになってくる。
他人ばっかり尊重して自分ないがしろにして、挙げ句、にっちもさっちもいかなくなって、ふと我に返った時に「あのときは必死で気づかなかった」なんてのが通用するのは、若さも体力も気力も時間もまだまだたくさんある若者にしか通用しないわよ(笑)
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